
※絵画をクリックすると拡大します。
詳細
作品ID | 104 |
---|---|
作家名 | パブロ・ピカソ |
作品名 | アラブの女 |
分類 | U98N99S26 |
技法 | リトグラフ |
サイン | 刷込サイン |
制作年 | 1960年 |
作成枚数 | |
額サイズcm(縦×横) | 90×71 |
額装コンディション | 新品 |
作品コンディション | A |
所蔵美術館など
パリ国立ピカソ美術館、ピカソ美術館、サン・テティエンヌ・メトロポール近現代美術館、ローゼンガルト・コレクション、オルセー美術館、国立西洋美術館、ひろしま美術館、箱根彫刻の森美術館、ピカソ館、その他の美術館
略歴
* | 1881年 スペインのアンダルシア地方マラガに生まれる。 1891年 父の教えるダ・グワルダ美術工芸学校に通う。 1897年 マドリッドの美術展で「科学と恩寵」が受賞。マドリッドのサン・フェルナンド王立美術学校上級に入学する。 1900年 最初のパリ旅行。画商マニャックと契約。 1902年 3度目のパリ滞在。ベルト・ウェール画廊等で個展を開催。 1903年 青の時代、最高傑作である『人生(La vie)』を完成させた。 1904年 バラの時代、モンマルトルのバトー・ラヴォワール(洗濯船)に住む。 1905年 美術評論家で詩人のギヨーム・アポリネールと出会う。 1906年 アンリ・マティスと出会い、以後終生の戦友となった。 1907年 ジョルジュ・ブラック、アンドレ・ドランと出会う。画商ダニエル・ヘンリー・カーンワイラーと契約を結ぶ。 1909年 分析的キュビスムの作品を制作。ドイツで最初の個展を開催。 1911年 ニューヨークやイギリスで最初の個展を開催。 1918年 オルガ・コクローヴァと結婚。 1922年 第1回シュルレアリスム展に出品。演劇の装置や衣装を制作。 1930年 彫刻に専心。『ピカソ夫人像』がカーネギー賞を受ける。 1931年 ロンドンで「ピカソの30年」展を開催。 1936年 ピカソは人民戦線政府の依頼により、プラド美術館館長に就任。 1937年 『ゲルニカ』を制作し、パリ万国博のスペイン館に展示。 1939年 ニューヨーク近代美術館で「ピカソ芸術の40年」展を開催。 1944年 パリ解放後最初のサロン・ドートンヌに戦争中の作品80点を展示。 1946年 陶芸の街ヴァロリスで陶芸制作をはじめる。 1950年 ヴェネチア・ビエンナーレで特別陳列。「鳩」のポスターを制作。 1951年 東京で初のピカソ展を開催。翌年『戦争と平和』のパネルを制作。 1953年 ローマ、ミラノ、リヨン、サンパウロ等で大回顧展を開催。 1957年 ニューヨーク近代美術館で「ピカソ75歳記念」展を開催。 1958年 パリのユネスコ会館で『堕天使』を制作。リノカット版画を始める。 1962年 東京で「ゲルニカ展」を開催。 1966年 パリで85歳の記念大回顧展、ロサンゼルスで「ピカソ版画の70年展」を開催。 1967年 シカゴのシヴィック・センターに巨大彫刻のモニュメントを公開。 1968年 347点の銅版画展がパリ、トロント、日本、ロサンゼルス等で開催。 1970年 バルセロナのピカソ美術館に約900点の作品を寄贈。アヴィニョン法王庁で140点の新作油絵展。 1973年 南フランスの別荘で肺水腫により死去。遺骸はヴォーヴナルグ城の庭に埋葬される。 |
---|