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詳細

作品ID109
作家名アンドレ・ブラジリエ
作品名フーの森
分類U70N105S59
技法リトグラフ
サイン本人サイン
制作年
作成枚数130
額サイズcm(縦×横)101×71
額装コンディション新品
作品コンディションA


所蔵美術館など

フランス政府パリ美術館、エルミタージュ美術館、カルナヴァレ博物館、オランダ美術館、オペラギャラリー、ロバート・リーマン・コレクション、その他の美術館



略歴

1929年   フランス・アンジュー地方ソーミュールにて画家の両親の元に生まれる。
1949年   パリ国立美術学校(エコール・デ・ボザール)に入学。モーリス・ブリアンションに師事し、彼のアトリエで学ぶ。
1952年   フローレンス・ブリュメンタル賞受賞。
1953年   ローマ大賞絵画部門のグランプリ受賞。
1957年   パリ・ドルエ画廊(フランス・パリ)にて、音楽を主題にした最初の個展を開催。
1958年   ムルロー工房で最初のリトグラフ(石版画)を制作。
1960年   ヴェイユ画廊(フランス・パリ)にて展覧会を開催。ヴィルヌーヴ=シュール=ロ賞を受賞。
1961年   青年画家展シャルル・モレ賞受賞。ルペーニュに館を購入。
1962年   シュールロット賞受賞。デヴィット・B・フィンドレー画廊(ニューヨーク)にて展覧会を開催。
サロン・ドートンヌ委員、サロン・デ・チュイルリー委員となる。
1964年   ヴェイユ画廊において、ソーミュールの馬術教官を主要テーマとした展覧会を開催。
1966年   ギャラリー・コントラスト(ベルギー・ブリュッセル)にて展覧会を開催。
1969年   東京(初)、ギャルリー・ド・パリ、ナント美術館(フランス)、ジルダ・ファンデル・センターにて展覧会を開催。
1970年   ブエノス・アイレスにおける「現代フランス具象画パノラマ展」に出品する。小説家ガストン・ルルー「黄色い部屋の秘密」(ソーレ社刊)の挿絵を描く。
1971年   ガレリア・デ・アルテ(ベネズエラ・カラカス)、デヴィット・B・フィンドレー画廊(ニューヨーク)に展覧会くを開催。
1972年   ギャラリー・ド・パリにて二度目の展覧会を開催。コレットの中編小説数作(オネトム・クラブ刊)の挿絵を描く。
1974年   東京の吉井画廊、ヴィジョン・ヌーヴェル画廊(フランス・パリ)、デヴィット・B・フィンドレー画廊(ニューヨーク)にて展覧会を開催。画集が日本で初めて出版される。
1975年   サロン・ド・モンジュール賞を受賞する。ギャルリー・ミニョン=マサール(フランス・ナント)、ギャルリー・デ・ショードロニエ(スイス・ジュネーブ)、ヘルシンキで展覧会を開催。
1976年   ギャルリー・ド・パリにて三度目の展覧会を開催。イヴ・ファンタスがブラジリエ論を出す。
1977年   東山魁夷画伯が壁画制作中の唐招提寺(奈良)にブラジリエ氏を招待する。東京での2度目の個展を開催、日本各地を旅行する。ギャルリー・デ・ショードロニエ(スイス・ジュネーブ)にて展覧会を開催。ドイツで初めての展覧会がローランド・ドシュカ教授により、チュービンゲンで開催。
1979年   パロリス地方(ピカソのセラミック制作で有名な陶器の名産地)で陶芸家と共同制作。パリのマティニョン画廊、エチエンヌ・サッシ画廊(フランス・パリ)にて初めて陶器の展覧会を開催。
1980年   シュノンソー城に作品190点を一堂に会した大回顧展を開催。
1985年   レイナルド・ハーン作・ピエール・ジュルダン演出、戯曲「ジブレット」のための舞台装置や衣装を制作・担当する。ハマーギャラリー(ニューヨーク)にて個展を開催。
1987年   プロバンス地方のヴァンスでモザイク画(15×3メートル)を制作。マルセル・プルースト著『スワンの恋』を題材とした作品を印刷局用に制作。
1988年   南フランス アンティーブのピカソ美術館にて展覧会を開催。
1989年   金の木馬賞(アンジェ市名誉勲章)受賞。『アンドレ・ブラジリエとその変貌』(ヤン・ピション著) が出版される。抽象化された形・明快な色彩を通じて、詩的な表現を得意とする。
1992年   「バガテルのアンドレ・ブラジリエ展」がパリ市庁舎にて開催される。東京、大阪、札幌、福岡にて、ディディエ・ジュモー&パートネール主催の巡回展「ブラジリエの ブラジリエ展」が開催される。リトグラフのカタログ・レゾネがカリトス社から出版。
2004年   ドイツ、コンスタンツ湖畔、マイノー城にて展覧会を開催。
2005年   エルミタージュ美術館(ロシア・サンクトペテルブルク)にて回顧展を開催。
2013年   オペラギャラリー(イギリス・ロンドン)にて未発表作品30点による個展を開催。