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詳細
作品ID | 118 |
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作家名 | アルフォンス・ミュシャ |
作品名 | 冬 |
分類 | U22N30S17 |
技法 | リトグラフ |
サイン | サイン(財団) |
制作年 | 1994年 |
作成枚数 | 150 |
額サイズcm(縦×横) | 106×65 |
額装コンディション | B |
作品コンディション | C |
所蔵美術館など
サンフランシスコ近代美術館、リュクサンブール美術館、ヒューストン美術館、オルセー美術館、バージニア美術館、ブレーハン美術館、ボルチモア美術館、オーストラリア国立美術館、プラハ国立美術館、境アルフォンス・ミュシャ館、東京国立新美術館、その他の美術館
略歴
* | 1860年 チェコ共和国東部イヴァンチツェに生まれる。 1871年 聖ペテロ教会の聖歌隊員となり、その奨学金でブルノの中学に通う。 1873年 夏休みに合唱隊の聖歌集雑誌「モテツト」の表紙を描く。 1874年 声変わりにより聖歌隊を退団。奨学金も打ち切られ中学を除籍。 父の手引きで裁判所の書記の仕事に就きつつ、デッサンに励む。 1879年 舞台装置等を作っている工房で働きながらデッサン学校に通う。 1881年 働いていた劇場の焼失で職を失い、ウィーンを去りチェコ、ミクロフに移る。フリーランスで装飾芸術や肖像画を描いて生活。 1882年 ミクロフの名士たちの肖像画を描いて生計を立てる。 1883年 クーエン・ベラン伯爵と出会い、フレスコ画制作の依頼を受ける。以降、伯爵と弟のエゴン伯爵がパトロンとなり援助を受ける。 1884年 エゴン伯爵の援助でミュンヘン美術院に入学、卒業する。 1887年 パリの私立美術学校であるアカデミー・ジュリアンに入学。 1889年 クーエン伯爵の自殺により援助を打ち切られる。 1891年 ゴーギャンや劇作家・小説家ストリンドペリと出会い、挿絵を描く。 1893年 旧知のゴーギャンと再会、アトリエを共有。 1894年 舞台女優サラ・ベルナール主演の舞台ポスター『ジスモンダ』制作。パリ・サロン・オブ・アーティストで展示され、初めて公的な名誉勲章を授章。 1895年 サラ・ベルナールと6年間のポスター契約を結ぶ。 1896年 サロン・デ・サン展のポスターを描き、ロートレックらと共に出品。 この年に制作されたJOB社の『煙草』のポスターは大変人気があった。 1900年 パリ万国博覧会のボスニア=ヘルツェゴヴィナ館の装飾を担当。 1901年 レジオン・ドヌール勲章を受章。装飾資料集を刊行。 1904年 アメリカに招待され、上流階級の注文肖像画を描いた。 1906年 プラハにてマリア・シティロヴァと婚礼を挙げ、アメリカに渡る。 1910年 故国チェコに帰国し、連作『スラヴ叙事詩』の制作を開始する。 1918年 オーストリア帝国が崩壊し、チェコスロバキアが成立。新国家のために紙幣や切手、国章などのデザインを担当。 1928年 チェコスロバキア独立10周年記念として、1926年に完成した『スラブ叙事詩』シリーズ全20点をプラハ市長に寄贈。 1931年 聖ヴィート大聖堂のステンド・グラスをデザイン制作。 1939年 ナチス・ドイツによってチェコスロバキアは解体。ドイツ軍は「ミュシャの絵画はチェコ国民の愛国心を刺激する」という理由でミュシャを逮捕。すぐに釈放されたものの、4ヶ月後に肺炎を患い、プラハにて死去。 |
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