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詳細
作品ID | 20 |
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作家名 | アンリ・ファンタンラトゥール |
作品名 | ロッシーニ |
分類 | U135N141S79 |
技法 | リトグラフ |
サイン | 本人サイン |
制作年 | 1902年 |
作成枚数 | |
額サイズcm(縦×横) | 80×81 |
額装コンディション | A |
作品コンディション | B |
所蔵美術館など
グルノーブル美術館、オルセー美術館、ロンドン・ナショナル・ギャラリー、ダラス美術館、メトロポリタン美術館、シカゴ美術館、ワシントン・ナショナル・ギャラリー、南オーストラリア州立美術館、バンベルグ財団美術館、ボストン美術館、ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館、東京国立西洋美術館、その他の美術館
略歴
* | 1836年 フランス南東部の町、グルノーブルに生まれる。 1841年 家族とともにパリへ移住。画家兼絵画教師であった父親にデッサンの 手ほどきを受ける。 1850年 デッサンの教師であるオラース・ルコック・ド・ボワボードランの アトリエに4年間通う。 1854年 パリ国立美術学校のエコール・デ・ボザールで学ぶ。短期間絵画を勉強するほか、敬愛していた写実主義の巨匠ギュスターヴ・クールベのアトリエでも制作を行なう。また、パリのルーヴル美術館で名画を模写して修行し、同世代のエドガー・ドガやエドゥアール・マネ、ベルト・モリゾと知り合う。 1859年 展覧会に初出品するも落選。アメリカ人画家のジェームズ・マクニー ル・ホイッスラーに招かれ、イギリスを旅し、イギリスの画家たちとも知り合いを得る。 1861年 展覧会に初入選。ギュスターヴ・クールベのスタジオで働く。 1862年 エドゥアール・マネやアルフォンス・ルグロ、ヨハン・ヨンキント、 ホイッスラー、フェリックス・ブラックモンらと共に、「エッチング版画家協会」を設立。 1863年 「落選展」に作品を出展した画家の一人となった。 1864年 ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの展覧会に出展。 印象派の画家と同世代であり、親しかったが、写実主義のスタイルで描いた。 1870年 『バティニョールのアトリエ』を展覧会へ出品。一部から否定的な意見も受けたが、殆どの批評家や民衆から高い支持を得る。 1876年 画家仲間だったヴィクトリア・デュブールと結婚。 1904年 フランス北部のオルヌ県ビュレにあった妻の家族の邸宅で過ごし、 その場所で死去。 |
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