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詳細
作品ID | 90 |
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作家名 | ラウル・デュフィ |
作品名 | 小さな船 |
分類 | U38N40S23 |
技法 | リトグラフ |
サイン | 刷込サイン |
制作年 | 1987年 |
作成枚数 | |
額サイズcm(縦×横) | 62×80 |
額装コンディション | 新品 |
作品コンディション | B |
所蔵美術館など
オルセー美術館、ポンピドゥー・センター、ローゼンガルト・コレクション、パリ市立美術館、大谷美術館、国立西洋美術館、石橋財団ブリヂストン美術館、愛知県美術館、メナード美術館、三重県立美術館、島根県立美術館、ひろしま美術館、鎌倉大谷記念美術館、ブリヂストン美術館、その他の美術館
略歴
* | 1877年 北フランス、ル・アーブルの港町に9人兄弟の長男として生まれる。 1891年 家計を助けるため、サン・ジョセフ中学校を離れ、14歳でコーヒーの貿易会社で働く。 1895年 ル・アーヴル市立美術学校の夜間講座へ通い始める。友人フリエスらと共にアトリエを借り、アーブル美術館等で絵画作品を模写し学ぶ。 1898年 兵役。戦争から戻り病身でヴォージュ地方に滞在。 1900年 兵役後、ル・アーブル市から1200フランの奨学金を得て、パリ国立美術学校であるエコール・デ・ボザールへ入学。美術学校教授で画家のレオン・ボナのアトリエに入る。ジョルジュ・ブラックと学友。印象派の画家モネやゴーギャン、ゴッホなどに影響を受ける。 1903年 アンデパンダン展に初出品。 1905年 アンリ・マティス、マルケと知り合い、またドランやヴラマンク、ピカソなどの作品を見て、フォービズムに関心を向ける。 1906年 サロン・ドートンヌに初出品。ベルト・ヴェイル画廊にて個展を開催。生活のため、木版画の制作を始める。 1908年 ジョルジュ・ブラックと共に、南フランスの港町レスタックで制作。セザンヌ風様式を採用。フォービズムから離れていく。 1909年 フランスの画家フリエスとミュンヘンに旅行。 1910年 詩人ギヨーム・アポリネールと親交を結ぶ。ジャン・マルシャンらと構成主義の研究に打ち込む。 1911年 結婚。当時豪華王と呼ばれたファッション・デザイナーのポール・ポワレと知り合い、テキスタイルデザインに携わる。 1912年 フランスのシルク製造業を率いたリヨンのビアンキーニ・フェリエ商会とデザイナー契約を結ぶ。 1914年 第一次世界大戦が起こり、陸軍郵便事業に従事。 1917年 翌年まで、戦争博物館の図書室員となる。 1918年 ジャン・コクトーの舞台デザインを手がける。 1920年 ジョルジュ・ブラックの近所に居を構える。 1921年 装飾美術家展やベルネーム・ジュヌ画廊に出品。 1925年 「シャトー・ドゥ・フランス」シリーズが国際装飾美術展にて金賞を受賞。 1938年 パリ電気供給会社の社長の依頼で、パリ万国博覧会電気館の装飾に巨大壁画「電気の精」を描く。多発性関節炎発症。 1943年 第二次大戦中はスペイン国境に近い村に逃れ、友人と共に暮らす。 1950年 リウマチのコーチゾン療法を受けるため、アメリカのボストンへ。 1952年 ヴェネチア・ビエンナーレ国際大賞を受賞。 1953年 フランスのフォルカルキエにて心臓発作により死去。 |
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