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詳細
作品ID | 11 |
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作家名 | タマラ・ド・レンピカ |
作品名 | 緑の服の女 |
分類 | U195N271S151 |
技法 | 油彩 |
サイン | 無し |
制作年 | |
作成枚数 | 1 |
額サイズcm(縦×横) | 93×74 |
額装コンディション | 新品 |
作品コンディション | A |
所蔵美術館など
オルレアン美術館、ポンピドゥーセンター、ナント美術館、パリ国立近代美術館、その他の美術館
略歴
* | 1898年 ワルシャワに生まれる。 1903年 父親が行方不明になる。思春期をロシアとスイスで過ごす。 1911年 サンクトペテルブルクに移り住み、親戚の家に身を寄せた。ここでは美術大学で素描の授業を受ける。祖母とイタリアを旅行し、ルネサンス絵画とバロック絵画に出会う。 1912年 スイスのローザンヌで学校に通い始める。この頃キュビスム絵画に出会う。 1916年 18歳で弁護士タデウシュ・レンピッキ伯爵と結婚。 1917年 ロシア革命でパリへ亡命。働かない夫を尻目に画業で身を立てる決心。時代に翻弄されながらも女性の自由な生き方を実践。「狂乱の時代」とも呼ばれた。 1923年 パリのアカデミー・ランソン教師であるモーリス・ドニやアンドレ・ロートに学んだ。 1925年 ミラノのボッテーガ・ディ・ポエシア画廊で最初の個展を開催。 1926年 ミラノを再訪。有名な詩人で政治家のガブリエーレ・ダヌンツィオが彼女に肖像画を注文するが、未完に終わる。 1927年 ボルドー国際美術展で『ピンクの服を着たキゼット』が金賞を受賞。ナント美術館が購入。美術館入りした最初の作品となる。 1928年 タデウシュ・レンピッキ伯爵と離婚。 1929年 パリのメシャン通り7番地にアトリエを購入。 1934年 オーストリア・ハンガリー最大の土地所有者であるラウル・クフナー男爵と再婚 。 1935年 重度の鬱病となり、治療のため、しばしばスイスの病院に滞在。『修道院長』のような宗教的な作品を制作する。 1939年 ナチの脅威を逃れるために、夫とともにアメリカに亡命。3年間、ハリウッドで暮らす。 1940年 ハリウッドスターや社会的・経済的エリートたちお気に入りの肖像画家となるが、時代とともに次第に忘れさられる。 1943年 ニューヨークに転居。 1949年 戦後、アメリカ国内、イタリア、フランス、メキシコ等を旅する。 1953年 抽象画を試みる。 1959年 パレットナイフを駆使して、厚塗りの画風となる。 1962年 夫の死去後、画家を引退し、メキシコに移住。 1972年 画商アラン・ブロンデルがパリのリュクサンブール画廊で回顧展を開催。回顧展は大成功を収め、レンピッカ再評価のきっかけとなる。 1980年 死去。 |
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