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詳細
作品ID | 171 |
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作家名 | マルク・シャガール |
作品名 | 楽園Ⅰ |
分類 | U19N22S12 |
技法 | リトグラフ |
サイン | 無し |
制作年 | 1960年 |
作成枚数 | 6500枚 |
額サイズcm(縦×横) | 58×49 |
額装コンディション | A |
作品コンディション | A |
所蔵美術館など
国立マルク・シャガール美術館、マーグ財団美術館、ヴィチェプスク現代美術館、 グッゲンハイム美術館、シカゴ美術館、フィラデルフィア美術館、ポンピドゥー・ センター、ニューヨーク近代美術館、アムステルダム市立美術館、ユダヤ博物館、 青森県立美術館、東京国立西洋美術館、高知県立美術館、その他の美術館
略歴
* | 1887年 ベラルーシのヴィテブスクで生まれる。両親はユダヤ人。 1907年 サンクトぺテルブルクの美術学校でレーピンの指導を受ける。 1908年 ズヴァンツェヴァ美術学校でレオン・バクストの指導を受ける。 1910年 5年間パリのラ・リュシュに滞在し、美術学校アカデミー・デ・ラ・ パレットに通う。モディリアーニやスーチン、パスキンなど後のエコール・ド・パリの巨匠たちと交流し、サロン・ドートンヌやアンデパンダン展などに出品を続ける。 1911年 この時代の代表作『私と村』を制作。 1914年 ドイツのベルリンにあるシュトゥルム画廊で初個展を開催。初期作品は印象派風だったが、ピカソを知り立体派に感化される。 1915年 母の病死でロシアに戻る。恋人ヴェラと結婚。モスクワで個展を開催。 1917年 ロシア革命勃発後の故郷でユダヤの子供たちのシェルターで美術教師を勤めた。美術人民委員に選ばれたが、マーレヴィッチとの不和で辞任。 1922年 版画家ヘルマン・シュトックを知り、銅版画技法を習得。最初の銅版画『わが生涯』を出版者カッシラーの依頼で制作。 1923年 パリへ移住。画商ヴォラールの依頼により銅版画を制作。 1931年 画商ヴォラールの依頼で壮大な主題『バイブル』に取り組む。 1939年 カーネギー賞を受賞。 1941年 第二次世界大戦勃発。ナチスの迫害を避けてアメリカへ亡命。 1943年 キリストの『磔刑』や戦争を主題とした絵を描き始める。 1944年 最愛の妻ヴェラを亡命先のアメリカで亡くす。 1945年 ニューヨーク近代美術館およびシカゴ・アート・インティテュートで回顧展を開催。 1948年 ヴェニス第25回ビエンナーレ版画賞を受賞。 1950年 南フランスのヴァンスで永住することを決意し、フランス国籍取得。 1952年 ユダヤ人女性ヴァランティーヌ・ブロツキーと再婚。 1960年 オランダのエラスムス財団よりエラスムス賞が贈られる。 1963年 パリ・オペラ座の天井画制作。東京、京都で大回顧展を開催。 1966年 17点の連作『聖書のメッセージ』をフランス国家へ寄贈。 1967年 生誕80周年を記念チューリッヒ、ケルンで大回顧展を開催。ルーブル美術館で「聖書の使命展」を開催。 1973年 ニース市に国立マルク・シャガール美術館が開館。 1976年 東京国立近代美術館で個展を開催。 1985年 フランスにて死去。サン=ポール=ド=ヴァンスの墓地に埋葬される。 |
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